TSMC創始者-張忠謀/モリス・チャンの引退に思う

社長ブログ

先日、半導体ファンダリー世界トップのTSMCの創立者であるモリス・チャンが引退を正式にしたニュースがありました。(添付:日本経済新聞2018.6.6記事)

我々、半導体屋、特に昔DRAM屋にとっては感慨深い思いがあり、20年以上前の台湾ファンダリー創生期に我々の猪突猛進した姿を、記憶が薄れない前に少々の暴露話しも含めブログに書き留めました。

時は遡ること1990年代後半、富士通(Fj)半導体DRAM事業部は製造Capa.を確保すべく90年代前半の韓国現代半導体との協業生産から更に雨後の竹の子の如く出現した台湾勢に食指を伸ばしました。小生は1992年に本社川崎工場のDRAM設計部隊の約半分とTEST部隊、プロセスのインテグレーション部隊を引き連れてDRAMの開発/試作拠点となっていた三重工場(現富士通セミコンダクター)にプロダクトエンジニアリング部という名で、要は世界中のDRAM Fabに技術をTransferし設計チューニングをしながら相手先の生産を支援するミッションの部隊を立ち上げました。

90年代前半は現代半導体(現Hinix)との協業や富士通(Fj)の前工程工場であったアメリカオレゴン州グレシャムに作ったDRAM工場、イギリスのダーラム工場、また世界各地の後工程工場(日本,シンガポール,米サンディエゴ,マレーシア,アイルランド…)で世界中を東奔西走していました。

当時は日本が世界のDRAM生産量の70%を担っていたためそれでもCapa.は足りなく、そこに現れたのがモリス・チャン率いるTSMC始め台湾半導体勢でした。まだ創立して10年も経ってないTSMC他は日本のDRAM技術が是が非でも欲しく、その頃まだ頭の低かったモリス・チャンも三顧の礼でFjに接近してきました。

96年以降、Fjは堰を切ったが如く台湾勢–TSMC,WSMC,ACER Semicn,Power chipと提携し生産Capa確保に走りました。当初TSMC,ACER,Power chipに同時進行で技術/生産Tranferをしていましたので、その技術Transferの責任を負った小職は月1-2度のペースで台湾に出張していました。余談ですが後年のある日、パスポートの台湾渡航歴を数えてみたら250回ぐらいでしたので今日までの累計は300回以上になっていると思います。添付の写真は当時のTSMCの人々の名刺でこれだけで100枚ぐらいあります。あの頃の企業戦士としてなりふり構わず猪突猛進した姿を彷彿とさせます。

時は過ぎ、1998年ぐらいになり、リチャード・チャン率いるWSMCが強いアプローチをかけてきました。リチャードはモリスと同じTI出身で、台湾でTSMCの向こう見栄を張って1996年にWSMCを創立し、最初のFab.1は東芝のDRAMの技術移転を受けました。3年目で0.18ミクロンのFab.2を早くも立ち上げ、小生が台湾に行くたびに彼は「Fab.2を是非ともFjとやりたい」、その条件として私に、「他のファンドリーよりも必ず歩留まりを良くできる、3ヶ月で立ち上げをする」と豪語し、「必ず実現させるから上層部を説得して欲しい」と懇願してきました。

当時、ACERとTSMCでは既に我々のDRAMファンドリーが始まっていましたが、ACERは期待している歩留まりを達成できず、TSMCはDRAMの市況(価格)により我々へのファンドリー量をアロケーションするポリティカルな面があり小生は必ずしも両社に満足していませんでした。私はFj計画部門を何度か説得し技術移管のGoにこぎ着けました。蓋を開いてみたところ、WSMC Fab2では何と3ヶ月で1’st Lotが出てきて、いきなり歩留まりが80%以上とACERを遙かに凌ぐ結果を出してきました。すぐさまFjとWSMCは正式契約してDRAM生産を委託するファンドリーBizに走ったのは確か1998年の終わり頃かと思います。私の狙いはTSMC,ACER,WSMCの3社を技術,生産性,歩留まりなどで競争させ切磋琢磨することによりFjのDRAM競争力を高めることでした。

ところが…それから半年もしない時に予想もしない事態が起こりました。1999年になりTSMCが立て続けにACERとWSMCを買収すると発表したのです。TSMCは三つ巴の競争を嫌い、3社3Fabをまとめて生産性の効率を上げるのと、なんと言ってもWSMCの実力を脅威に感じ金で解決したのです。さすがモリス・チャン、TSMCがその後もどんどん成長し続け、今では世界一のファンドリーになったそのビジネスモデルが垣間見えます。

添付は当時のニュースペーパーで、以下はその訳文です。


 

TSMC will buy chip venture from Acer to boost foundry capacity _ EE Times

 

【訳文】Taiwan Semiconductor Manufacturing Co.(TSMC)、本日、TSMC-Acer Manufacturing Corp.合弁会社の完全所有権を取得する契約を締結したと発表しました。2000年6月30日までに業務がTSMCに統合されます。
TSMCやAcer Groupは、1990年代初めにテキサス・インスツルメンツ社とのDRAM合弁会社としてチップ製造部門を設立したことで合併計画の具体的な価値は発表されなかった。1998年にTIがベンチャーから抜け出すと、AcerはDRAMファブをロジックファウンドリーに変換し始めました。昨年6月、同社はAcer Semiconductor Manufacturing Inc.の30%の株式をTSMCに売却することに合意した。
TSMCのモリス・チャン会長は、「TSMCとTASMCの合併により、統合を通じて業務効率をさらに向上させ、顧客にタイムリーなサービスを提供できるようになる」と語った。さらに、合併により、グローバル・ファウンドリー事業における当社の主要な地位をさらに確かなものにすることができます。


 

TSMC and WSMC Agree to Marge

TSMCとWSMCが合併に合意
【訳文】出典:Taiwan Semiconductor Manufacturing Company Ltd.< %= company1%>(TSMC)とWorldwide Semiconductor Manufacturing Corp.(WSMC)は本日、WSMCをTSMCに統合する契約を締結したと発表した。
TSMCとWSMCの取締役会は、合併契約を今日承認しました。 合併の連結日は2000年6月30日を目標としており、その時点でWSMCはTSMCに吸収される。統合されたエンティティはTSMCとして動作します。
1996年5月に設立されたWSMCは、TSMCと基本的に同じ事業範囲を持つ専用のICファウンドリ会社です。 現在、台湾の3番目に大きなファウンドリであり、WSMCは8インチのファウンドリを運営しています。 0.25μmプロセス技術と0.18μmプロセス技術を使用しています。 2番目の8インチの生産。 WSMCウェーハ工場は2000年3月に開始される予定です。両方のファブの年産能力の合計は8インチで40万に達するはずです。


ほどなくしてリチャードからメールが私にありました。
“立松さん、申しわけ無い、WSMCはTSMCに売ることにした。私はアメリカに戻り、前からやりたかったキンダーガーデン(幼稚園)を設立するつもり…”
彼は信心深いクリスチャンで人のために尽くすことを理想としていたのでしかたがないなあ…と私は思ったのですが..

ところが翌年2000年になり、またリチャードから頼りがあり、”立松さん、私は上海でSMICと言うファンドリー会社を設立する、またFjから協力をもらいたい…”
彼はやはり半導体から身を引くことはできなかったのです。私はSMICとFjをブリッジし、当時、脚光を浴び始めたFj独自に開発したFCDRAM(のちのMobile DRAMの原型、スマホ等に今でも広く使われている)をSMICで製造することを勧めました。リチャードの実力は衰えておらず、すぐさま立ち上げを行い、2002年ぐらいから本格的な量産が始まりました。2005年ぐらいまでのSMICの生産量の70%ぐらいはこのFCDRAMが占めSMIC創生期の大きな原動力となりました。その後SMICは驚異的な躍進をとげ、現在では中国国内,上海,北京,深浅,天津に6つのFab.を持つファンドリーメーカーとして中国1位,世界6位となりました。リチャードは2009年に台湾のTSMCとの特許問題,膨大な投資の回収問題等でSMICのトップを退きましたが、中国では”半導体の父”と呼ばれ、昨今の中国半導体工場建設ラッシュ(16工場建設中,その内の一つが我々のTacoma/TTSEMI南京工場)の礎を築いたと言っても過言ではありません。
(添付:日本経済新聞2018.6.1記事)

リチャードはTacoma/TTSEMI南京の投資顧問にもなって頂いていて、今でも懇意にさせて頂いています。彼の履歴や人柄を紹介したURLがありますので訳文(TMリンク鷹野氏翻訳)と一緒に紹介します。

https://baike.baidu.com/item/张汝京/1626953?fr=aladdin
【訳文】張汝京(Richard Chang)氏の略歴と人物像

これにもあります様に彼はビジネスのみならず人格に優れ、現在では”中国の半導体の父”と呼ばれ多くの人に尊敬され、慕われています。
モリスは引退しましたが、リチャードはその後も自信の理想を目指す半導体ベンチャーをいくつも立ち上げ、相変わらず止まらない人です。キンダーガーデンのことは今、考えると冗談だったのかもしれません。(笑)

下の写真は昨年、建設中のTacoma/TTSEMI南京工場をリチャードが訪れた時のもので、右から「Tacoma/TTSEMI CEO: Joseph Lee 」,「リチャード・チャン」, 「台湾TECO Gr.オーナーファミリーTED氏」,「立松」です。


モリス・チャンはTSMCを世界一にしたビジネスマン、リチャード・チャンはSMICを中国一にした人格者…二人は同じTI出身の台湾人で同じチャン(張)さんですが半導体の歴史を刻んだ人に間違いありません。

私はFjのDRAM設計部隊に始まり、ちょうど1980年代後半から90年代、日本が半導体産業で世界を席巻した時代に課長,部長となり、仕事の脂の乗る時期に日本の栄枯盛衰を体感しつつ韓国,台湾,中国のめまぐるしく予測不能な展開を現場で経験させて頂きました。その中でリチャード・チャン氏はじめ多くの人と巡り会い沢山のことを学ぶことができたのは運が良かったとしかいい様がありません。諸行無常の響きではありませんが、日本の総合電機メーカーがこぞって半導体投資をして、そこいら中に工場を建てた姿は今はもう見る影もありません…しかしTMリンクを細々と経営しながら生きた化石の如くまだ半導体ビジネスをやっているのはFj時代に割と自由にやらせて頂いたことと沢山の人に支えられたおかげです…..感謝,感謝です。